オタクと難病とわたし

オタクと難病とわたし

アラサー女の病気や恋愛やオタク趣味に誰が興味あるってんだい

学校に行かなかった私の昔話

どうもです。おひさしぶりです。

今回はいつもと違う話をしようかと思います。

これを読むことで、いろいろな考えや捉え方ができるし、もしかしたらどなたかのトラウマに触ることにもなるかもしれませんが、私個人のひとつの体験と記憶と言葉と気持ちなので、読む方のそれとはあくまでも別物として捉えていただけたら幸いです。









さくっとカミングアウトしますと、私は不登校でした。
小学校6年生〜中学校3年生まで、家にいたり保健室にいたりフリースクールにいたりしました。


きっかけは、今思い返せば些細なことです。
いじめではないけれど、友達関係でとてもショックなことがあり、その日を境に学校に行くことが嫌になりました。


今思えば、思春期の女の子にとってはありがちの、そこまで珍しくもない些細なことでしたが、
私は元々が良く言えば繊細、悪くいえば神経質で感受性が高すぎるせいで些細なことに影響を受けやすい性格で、
その頃は特に多感な思春期で、心もまだ成長できていない状態だったので、ほんの少し心が乱れるようなことがあるとたちまちすべてのことをシャットアウトしてしまうような感じでした。
とくに人間関係に関してそれが顕著でした。


その頃のことは、覚えていることとまったく覚えていないことが極端なので、
それほど日々を過ごすことだけに必死だったんだと思います。




その頃のこと


覚えていることを書いていきます。

些細なきっかけで学校に行けなくなった私は、親に説得されて保健室登校をするようになりました。
保健の先生はとても優しくて好きでした。
保健室のプリントを折ったり、ホッチキスを使って冊子を作ったり、保健室で使う備品の補充をしたり、
勉強をするかわりにいろいろなことを手伝いましたが、それも楽しかったです。

ただ、当然保健室はほかの生徒も利用するところで、他学年の生徒なら顔を合わせても平気でしたが、
同級生と会うのがとても辛かったです。
必ずといっていいほど「なんで保健室にいるの?」と言われるのが嫌でした。

悪気がなく純粋な疑問としてだったり、私を知っている子は心配してくれた子もいましたが、
「授業さぼってずるい」「いけないんだ」と責められるように言われることも少なくなく、
「自分だって好きでここにいるわけじゃない」と思いながらも、言い返せなくて黙るしかなかったです。



学校へは、母が送り迎えしてくれました。
登下校の際に他の子に会うことが嫌だったのもあり、「送ってくれるなら(学校に)行く」という感じでした。
今思えば、ほぼ毎日学校まで送り迎えしてくれた母は大変だったと思いますが、
その頃は嫌々行っていたので、母の気持ちを気遣うことができませんでした。
朝から授業が終わる時間までいる日もあれば、お昼で帰る日もありました。




ここの一記事では書ききれないほどに、いろんなことがありました。

担任の先生との交換ノート、
同じクラスの子達と一緒に給食を食べられるようになったこと、
修学旅行に行ったけど、途中から辛くてみんなと一緒にいられず、付き添いの先生とバスの中にずっといたこと、
学校に行けなくなったきっかけになった子から、追い打ちのように「大嫌い」と書かれた手紙をもらって泣いたこと、
習い事が一緒だった他校の友達から「大好きだよ」と「元気を出して」という手紙をもらって泣いたこと、

フリースクールで、30越えた今も仲良くしてる一生の友達に出会えたこと、
その頃に出会った漫画やアニメと友達のおかげでオタクの資質を開花させ、後々それに何十年も救われることになったこと。




思い返すと辛いことも多くありましたが、その頃に出会ったもの、人、そして経験があったからこそ、
今の自分があるんだと思います。



ただ、その当時はわからなかった。


ただただ、辛かったし、楽しいこともあったけど
「学校に行け」と言われることや、ときどきある人間関係の波など、
嫌なことがあるたびに、好きなことしかしたくない、嫌なものは一切やりたくないし聞きたくない、
と拒絶するばかりでした。



中学進学


いろいろあって私は中学受験をし、小学校の同級生が誰もいない学校へ進学したのですが、
そこではなにも嫌なことはなかったけど、長期休み明けから行けなくなりました。

中学校に関しては、人間関係などはなにもなかったんですが、頑張っても勉強についていけないこと、
知らない環境、1からの人間関係、唯一続けてた習い事も中学生になったことでクラスが変わり大変になる、
本来みんな誰しもが通る、経験することが、どうしても辛くて耐えられなかった。

そして一度行けなくなるともう無理でした。

また同級生から向けられる「どうして来ないの?」という視線や意識、
学校に来ない子というレッテル、
小学校のときにはなかった先生からの重圧、

考えなきゃいけない、行かなきゃいけないことはわかっていても、どうしてもできませんでした。




そんなこんなで私は、頑張って勉強して、親にお金を払ってもらって入った中学にほとんど行かないままでした。
ただ、小学校のときとは違い、中三になると度々先生に呼び出されました。

中高一貫校だったので、中学で入ればほぼそのまま高校へ進学できたはずが、
私は出席日数が足らないのでこのままだと進学はできないと言われました。
当然といえば当然だったので、驚きもショックもありませんでしたが、
せっかく受験なしで高校へ行けるはずなのに、このままじゃもったいないという気持ちはありましたし、
親と先生にもかなり言われました。


でもその頃には私は学校というものをあきらめていて、高校へ進んだところでまたきっと行けなくなると思っていました。
そして先生や親と何度も話し合った結果、結局私は進学せず、他の学校を受験することもなく中学を卒業しました。
そのことについても、めちゃくちゃいろんなことがあったのですが、長くなりすぎるので割愛します(笑)




中学卒業後


そのあとはすぐにバイトを始めまして、そのバイトがめちゃくちゃ楽しく、
無断欠勤などもなくまじめに働いてました。
高校に行かずにバイトだけするのは、当時珍しいことではなかったですが、
私のような、平凡で生真面目なやつがそうだということは、親せきや知り合いの中では少し驚かれることもありました。

でも、そのときにはもう気持ち的に吹っ切れていたのと、学校に行ってなくてもバイトをしていれば、
誰にも文句を言われることもなく、むしろ「えらいね」と褒められることもあったので、自信にも繋がり、
日々を過ごしているだけで、悪いことをしているわけでもないのに責められたり、後ろめたく思うこともなくなったので、
精神的にかなり落ち着いていきました。

それからは途切れることなくずっとバイトをし続けていたのですが、19歳で重症筋無力症になってからは、
一時的に休んだり、回復したら復帰したりを繰り返していましたが、またそれは別の話になるので他の記事をどうぞ(笑)





その後の影響


小6から中3という、最も多感で、集団行動や、人間関係の作り方、続け方、壊し方、直し方など、
この頃にしか学べないことが多くある時期に学校に行かなかった私は、この後何年も様々な面で苦労しました。


集団行動が苦手、という認識はあまりなく、人がいっぱいいる場ではとくに主張せずニコニコしてればいいという自分なりの処世術を学んでからはとくに嫌がることもなくなりましたし、1対1ではもめることもなくそれなりにうまく人と付き合っていけるのですが、
数人のグループでの人間関係が苦手、というか、波風を立てるのを極端に避けるあまりどの子にも良い顔をしてしまうので、
八方美人だとか反感を買うことも度々ありました。


少しずつですが自分自身が成長していったので、その都度向き合って、私なりに頑張ってやっていきましたが、
後で思うと、多感な時期に、未熟同士の人間関係を多く学ぶことなくきてしまったことは、その後の人間関係を築いていく上で経験値的にかなり痛手でした。


もちろん、大人になってから学ぶことも多いですし、後から追いついて学ぶこともできるのですが、
多感な時期のお互いにまだ未熟者同士だからこそ、失敗しても修復できることもあるし、学べることも多くあると思います。
大人になってからだと、失敗してももうそれきりでやり直しができないこともある気がするので。


でもそれは、その当時自分自身が選んでそうしてきたツケのようなものなので、
痛手だったなぁとは思いますが、当時の辛かったことを思えば仕方ないと思っています。






後悔していること

学校に行けばよかった、という後悔は、ないです。
もちろん、行けたらよかったという気持ちがなくはないですが、もう一度やり直しても行かないと思うので、
私にとって学校というものはそういうものなんだと思っています。



後悔してることといえば、当時優しくしてくれた先生達、同級生、友達、そして親に対して、
私が学校に行けるように頑張ってくれたのに行けなくてごめんなさいということと、
もう少し回りのことを考えればよかったこと、感謝の気持ちを伝えていればよかったということです。

当時はほんとうに、自分のことだけで精一杯だったので、仕方ないといえば仕方ないのですが、
当時の先生方、特に小学校のときの先生達にはもうめちゃくちゃ迷惑もかけて、よくしてもらって、お世話になったのに、
もっともっとありがとうございました、って言うべきだったと思います。
今はもう連絡先もわからない人がほとんどなので、伝えるすべが無いのが心残りです。






不登校だった経験があってよかったこと

反対に、こういう経験をしてよかったと思うことはたくさんあります。


ひとつは、学校に行けなくなった子の気持ちが、少しでもわかること。
人によって辛さや気持ちは違うので、全部わかることはなくても、自分もそうだったことがあるので、
わかってあげたいと思えるようになったことです。


今までで、知り合いなど、学校に行けなくなった子、またはその親御さんから、
「話を聞いてほしい」と言われたことが何回かあります。


行けなくなった当事者の子とは、学校の話をするというよりは、趣味の話や学校以外のことを話すことが多かったのですが、
ある程度大人になってからは、親の知り合いなど、当事者の親御さんと話すことのほうが増えた気がします。

親御さんの話を聞くことと、自分のときはこうだった、そのときはこう思っていた、ということを話して、
「自分はこうだったけど、その子は違うかもしれないからね」
「私は当時、自分のやりたいようにやらせてもらえて、好きなこともさせてもらえて本当に救われたから、
親御さんの気持ちとしては難しいだろうけど、無理になにかしようとするより、その子がやれることややりたいことがあるならやらせてあげるのがいいかもしれない」
「当時めちゃくちゃ辛かったし親もつからったと思うけど、私いまめちゃくちゃ普通に面白おかしく生きてるから大丈夫」
てきなことをよく話してました。



ぶっちゃけまったく大したこと話してないですが、こういうのって、これだっていう解決策はないことのほうが多いので、
ただ話聞いてくれるだけで気持ちが楽になることもあるんですよね。

母の友達で息子さんが不登校になった人と話したとき、
私みたいに学校行ってなかった子と話せて、本人ではないけど当事者の話を聞けたこと、
辛いことあっても今楽しそうに過ごしてる私をみて安心できたことがよかったってめちゃくちゃ感謝されまして。
もちろん学校の先生とかほかの人にも相談したんだろうけど、「当事者の親」とは話せても「当事者」と話せることって
なかなかないし、ほんとによかったと言ってました。



そしてそのときに、あー、私の経験したことが無駄にならなかった。
自分にとってはつらい出来事だったけど、その経験が誰かの役に立てた、と思ったら、本当にほんとうに嬉しかったんですよね。

私の中の辛かった経験は、私の中では肥しにはなっているけど、それが誰かの役に立てるだなんて思ってもみなかったから、
こちらこそありがとうございます、と。




もちろん、学校に行かなくなった原因も人それぞれだし、一番つらいのは本人だし、
代わってあげられることも、本人の気持ちを100%理解してあげられることはできないかもしれないけど、
少しでも私の経験が役に立てたことが嬉しかったです。





このブログを書こうと思ったこと

なんでいきなりこんなことを書こうかと思ったかというと、私は今まで結構長いことネットでいろいろやってきましたが、
不登校だったことを、公開したことはなかったんです。

大人になってからは、不登校だったことも、それに伴ういろいろなことも受け入れてきたつもりですし、
普段も別に隠しているわけじゃないので普通に話すこともあるんですが、
心の片隅の奥の奥のほうで、ほんの少し「恥ずかしい」とか「うしろめたい」というような気持ちがあって、
自分が気を許した相手とか、上で書いたような話し相手になって役に立てるときなどは躊躇なく話しますが、
不特定多数の人に公開するのには少し抵抗があったのだと思います。

あと、中卒という学歴に、コンプレックスが少しもないというと嘘になります。
でもそれは、機会があったのにそうしなかった、後からでも頑張ればできたけどそうしなかった自分が選んだことなので、後悔ではないです。


少し恥ずかしいな、とか、大学行ってればもっとちゃんと就職できたかなとか、そういう気持ちもなくはないですが、でも自分はこう生きるしかなかったからしゃーないし、今なんとか生きてるからオッケー👌
という感じです。
就職できてもその後病気なっちまったから辞めてたかもしんないしねー!!(笑)



で、アラサーになり、結婚もして、病気とも私なりにうまく付き合っていくうちに、
「もう、いーんでない?」という気になりまして。
別に、なにかきっかけがあって、というわけではなく、ここいらで、一回解放してみっか、という気になったわけです。
これを公開することでなにかがあるわけでもないのですが、気持ちの整理、ですかね。




今悩んでいる人へ向けて、なにか伝えたいとか、そういう大それた感じでもないです。
ただ自分のことを書いただけなので。


こんな風に学生時代やってきたやつでも、ついでに難病と子宮の病気もちになっちまったけれども、
今結構幸せで、今は今で悩みつつもそれなりに楽しくおかしく生きてるよーっていうのを、記したかったのです。


あ、女子高生っていうのをやってみたかったってのは少し思います(笑)

でも学校行かなきゃいけないならやっぱ嫌だな〜〜〜〜って思うので、来世またがんばりたいですね。


あっいややっぱり来世は伊勢シーパラダイスのペンギンになって飼育員のお姉さんにお水かけられたいです。お願いします。







長くなっちゃいましたが、ここまで読んでくれた方、ありがとうございました。

まだまだ寒いけど、もう少ししたら雪も解けるし、あったかくなって春になるからね。
だいじょうぶよ。



あ!ただし身体とか心弱っとるやつは季節の変わり目に急に気温上がるとしんどくなるし死にたくなるけどそれ気圧とか気温とかそういうやつのせいやからなーーーー!!!!!!


かくいう私も毎年春めっちゃしんどなるから今から怖いよ!!!!!!!!
これはもう勝てんし抗えんから無理して対抗しようとしないでひたすら無理しないようにやりすごすしかねぇ!!!!!!
みんなも無理すんなよ!!!!!



気をつけなはれや!!!!!!!!!!!!!!!






ありがとうございました。














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