オタクと難病とわたし

オタクと難病とわたし

アラサー女の病気や恋愛やオタク趣味に誰が興味あるってんだい

半端者の苦悩

どうもです。


半端者、と聞くと、あまりいい印象がないのが通常でしょうか。

私は今、半端者です。
仕事も、恋愛も、病気も。



せっかくいい条件で雇用してくれたのに、体調の不調に心身ともにやっていくことができず、自主的にアルバイトになりました。
体調が整ったら好きな時に戻れる、という好条件だけど、福利厚生しっかりしてたのをアルバイトになったことですべて無しに。

体調的に、どの道あのまま続けることはできなかったから仕方なかったんだけど、この歳で結婚もしてないのにアルバイトっていうのは世間的にも精神的にもきつい。
もちろん金銭的にもだけど。



恋愛も、今年やっと結婚の話になったというところで体調悪化、入院までしてしまったので、私の体調が良くならないとなにも進まない状態。
関係は良好だし、来年を目標に、と話し合ってはいるけど、すべては私次第、私の身体が通常まで戻らない限りなにも進まないしできない。




そして、半端者だと1番感じるのは病気のことです。

私の患っている病気、重症筋無力症は、軽度ならば普通の生活も送れるし、重度なら人工呼吸器がいるほど深刻になります。

私はその中間、寛解はしていないけど、重度というほどでもない、中途半端なところをずっと行ったり来たりしているのです。


これまでの記事でいろいろと書いてきましたが、調子が良かった時期は薬こそ飲んでいましたが、普通に仕事して普通の生活をしていました。できていました。

悪い時は入院もしましたし、今回は入院+自宅療養しなければならない、場合によっては介助が必要なほどになってしまいました。


しかし中途半端なんです。
調子が良いときも、薬は飲んでたし無理をすると悪くなるのがわかるからいろいろセーブしたり気をつけたりすることが多い。でも普通に見えるから周りからは健康な人と同じに見える。

悪い時期である今も、当然普通の生活はできてないけど、完全なる寝たきりですべてに介護が必要なわけではない。



前に、幸せも不幸せも比べない、という記事を書きましたが、

それとこれは別のお話で、誰かと比べて不幸ぶってたり安心したりしているわけではないのです。

私自身が、私の中でずっと中途半端なところにしかいられないことに、なんとも言えない気持ちの悪さや、悔しさがあって仕方ないのです。



下も上も、比べる対象ならばいくらでも探せます。
でも、自分よりも悪い人を見て「あの人よりはマシだ」と思うのも、自分よりも良い人を見て「あの人よりは悪いんだからしょうがない」と思うのも、嫌だからしたくない。

そうでなくて、比べて優劣をつけているわけではなくて、ただ横並びでいろんなことを見てみると、思うのです。
私は中途半端だなと。



重症筋無力症は、人により症状の度合いが違います。
なので、私の場合は、という目線で読んでいただきたいのですが、すっごく中途半端な病気だなと思うのです。

一応は、国から「これは大変な病気やで」って認定された『指定難病』という括りにあるのですが、この指定難病になっていない病気でも、場合によっては重症筋無力症よりも重篤で大変な病気がわんさかあります。
なので、この病気だからって無条件に大変な病気だとは言えないと思います。


呼吸をするための筋肉が動かなくなり、呼吸困難になった場合は命の危険がありますが、一瞬でいきなり呼吸が止まるわけではないので、よほどのことがない限りは命に関わる病気ではないです。

言ってしまえば手足や顔の筋肉が動かなくなるだけなんで、それだけじゃ死なないです。

死なないんですよ、この病気じゃ。
だけど、場合によっては人生が狂うほどに生活に支障をきたす。

でも、死なないし、自分でなんとかできることもあるから、「大変な病気なんだ」と主張するのが憚れるのです。


そういうところが、半端だなって思うのです。




病気って、死ぬか死なないか、どれだけ重篤か、みたいな、極端な振り幅のもので判断されることが多々ある気がします。
もちろんその基準や規定があるからこそ、困ってる方への保証があることもわかっています。


でもね、半端者はどうしたらいいですかね。

足がない人は障害者手帳を取れるけど、私のように一時的に足が動かないだけでは障害者手帳はもらえない。(場合によりけりかもしれませんが)

障害者手帳取れていいなとかではなくて、一時的に手足が動かないだけとか、時々気持ちのコントロールができないとか、そういう、中途半端なところにいる人って、多分ものすごくたくさんいる気がするんです。
私がそこなのです。

足がないわけではない、でも普通の生活はできない。
障害者手帳はもらえない、でも普通の仕事はできない。
重篤ではない、でも健常ではない。

どちらにも属せない、どちらに寄せて理解してもらったらいいのかわからない。



そういう中途半端なところにいると、いろんなことが難しいのです。
手帳だけが判断基準ではないこともわかっているけど、健常者にもなれないから、自分の基準や目標をどこへ置いたらいいかが、わからなくなるのです。




この前動物園に車椅子で行った記事を書きましたが、あれも、私にとってすごく勇気がいることでした。
少しなら歩けるけど、すぐに疲れて動かなくなるから、車椅子があると良い。

でも、まったく歩けないわけではない、常に介助が必要なわけでもない私が、車椅子に乗ってもいいの?という気持ちがありました。
それは今もあります。

結果として、動物園では車椅子がなければ行けなかったし、次の日の映画では車椅子借りなくてしんどくて借りれば良かったと全力で後悔したし、きちんとルールにのっとって使用すれば、誰に咎められることもない。

わかっているんです、でも記事でも保留にしてありましたが
私の程度で車椅子に乗っていいのか?ということについて、なかなか答えが出せません。



車椅子に乗るべきレベル付けみたいなものが無いからこそ、私みたいな中途半端なものが乗るべきなのか?乗ってもいいのか?というのは考えてしまいます。

本来必要な人が使うべきものだから、必要ならば誰でもが使えるものだとは理解しているつもりですが、どうしても気になってしまう。
半端者だから。動かなくなるけど、足はあるから。


足がない人を差別したり、軽視したりしているつもりはまったくありませんが、わかりやすい表現がどうしても見つからなくて、このような書き方をしてしまうこと、本当にごめんなさい。

不快な思いをする方がいる可能性のある書き方や表現は極力避けているし、公開するまで何度も悩んだんですが、自分の伝えたいことを表現することを今回だけ、優先させていただけないでしょうか。
ごめんなさい、でも、決して軽い気持ちでの表現ではありません。




半端者は、どちらにもいけないんです。
健常ではないけど、寝たきりの人の隣で「私も病気で、薬を飲まなきゃいけないし、仕事も見つからなくて」ってなんて、言えない。同じようなつもりでいられない。
優劣をつけているわけでなくて、「私も重病人なんです!」って主張ができないことが結構つらいというか。

なにをもって重いとか、軽いとか、そういうことも難しいですし、何度も言っておりますが比べて優劣をつけることはしたくないのですが、自分をどこへ位置付けておくかでいろんな身の振り方を考えることもあると思っているんです。
なので、自分をどのへんに置いておいたらいいかがわからないと、どういう態度や立場でいたらいいかわからなくて迷うのです。


車椅子の事でもそうです。自分がどこらへん、車椅子使ってもいいところにいるのか、違うのか、わからないから迷う、悩む。
いろんなこと、中途半端だと迷って悩むんです。



あと、半端者は周りへの理解を求めるのがすっごく難しいと思う。
だって、自分でもどこへ位置付けていいのかわからないのに、他人に微妙な煩わしさ、大変さを的確に理解してもらうことはそりゃもう困難ですよ。

ていうか、普通の人は、ぱっと見で重症でない、大変そうでないと感じたら、そちらへフォーカスを合わせてしまいがちです。
なので、こっちは頑張って頑張ってなんとかしていることなのに、「これができるなら大丈夫ね!」とか、「この前はできてたから今日もできるね!」とかいう感覚になってしまうのです。

これはもう、半端者ゆえの宿命というか、これと戦っておられる方は相当いらっしゃるのではないでしょうか。

根気強く、上手く話をすることが大事なんですが、話したってわからんやつにはわからんし、半端者だからこその微妙なラインを説明する、わかってもらうのは本当に難しいし大変です。
周りが理解しようという姿勢でなければ詰みますし。あああ辛い。



健常者にはなれない、でも自分を重い病気だと、大変なのだと思うこともできない。そこへ位置付けていいのかわからない。
その辺、先日これ→
で書いたプライドも少なからず影響してるのかもしれません。

でも、自分は病気で、療養が必要なのだと認めることができても、じゃあ自分でトイレも食事もできて、頑張れば少しの外出もできる私は、はたしてそんなに重い病気であるのか?

そういうのはもっと、もっともっと大変な人が使うべきものであって、私なんかがそんな、大変なんだと言っていいのか?

そう考えると、やはり私は、どちらにもなれない、半端者だと思うのです。


でもこういう書き方をすると、私と同じ感じの人が大変でないみたいな捉え方もできてしまって、どうしたらいいかわからない。そう感じてしまった人がいるなら謝りたい。

大変か大変じゃないかなんて誰かが決めるものじゃない、よね。

でも、私の感じている寂しさと悔しさを、どうかここで書きとめておかせてください。





たぶんこの、半端者であるがゆえの苦悩と寂しさは、死ぬまで抱えていくのだと思う。
いつか病気が寛解に近づけたとしても、だからこその半端者になると思う。
それはもう、この病気になったときからそうなるようになってしまったのかもしれない。

そう思うと、少し気持ちが沈むけど、でも、やっていくしかないんだ。
半端者は半端者で。




あーーーやんなるわクソ〜〜〜〜〜〜〜ってね、どうしようもなくくしゃっとした気持ちになるときもあるけど、
やっぱり暗いところを標準にするのはいただけないから、無理やりでもいいから、首を上へ向けていこうと思います。



答えがない問題の答えはなかなか見つからない。
でも考えるのをやめたくはないな。
まあでも、私文系だし、答えが決まってる数学とか苦手だし、ぼちぼちやりますわ。





一個だけね、言えるのは、私みたいに半端者だと感じている人、とりあえずね、自分を責めたり卑下したりはしなくていいんだよ、とは伝えたい。

私は半端者で悩んではいるし、つい自分を責めたり卑下したりしそうになるけど、それはしなくていいんだ。

半端者だって、辛いもんは辛いし痛いもんは痛いし苦しいもんは苦しい。
それは、私だけのものだし、あなただけのものだから、なかったことにしなくていい。軽く見なくていい。
あなたの痛みだよ。決して軽くない。


半端者はどこを基準にするかや、自分をどこへ位置付けていたらいいかがわからない、だから悩むんだけど、自分を過小はしなくていい。


どうしたらいいかとかわからなかったり、わかってもらえなくて辛かったりするけど、でも、だからって今感じてる辛いことやしんどいことは、確かにあるものなのだから、誰に何を言われてもそれは認めていい。
辛いって、しんどいって認めていい。
それだけは言える。



いらない!って捨てて楽になるならばそうするべきだけど、苦しいのに、認めてもらえないからこの苦しいのはないも同然なんだとか、思わなくていいんだよ。

痛いもんは痛い、辛いもんは辛い。
あなたの感じたものはあなただけのものだから、無理になかったことと、少なく小さいものとしなくていい。










半端者だけど、だからこそ、自分の、そして誰かの痛みを理解できるひとでありたい。



ありがとうございました。







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