オタクと難病とわたし

オタクと難病とわたし

アラサー女の病気や恋愛やオタク趣味に誰が興味あるってんだい

今年の病変歴

今回は私の今年の病変歴を書こうと思います。
今年もあと1ヶ月半ですし、今年を振り返る意味でも…………えっ1ヶ月半?あと1ヶ月半で年変わる?えっ嘘でしょ待って嘘でしょ??????
早いよ…ただでさえ秋すっとばしていきなり冬になった感覚なのに……つらい…(独身アラサーは時間や月日の流れに敏感です)
あっでも年明けたら予約してた2.5次元の舞台のDVD届くから……楽しみだな……うん……






先日書いた記事→

でも書きましたが、5月あたりからまた生理痛などが酷くなり、子宮腺筋症を食い止めるための治療を開始
同時期、重症筋無力症の症状もほんの少し強くなりはじめるも、「婦人科の薬を始めたし、仕事の疲れもあるからだ」とあまり気に留めていませんでした。


6〜7月にかけて、忙しさと共に重症筋無力症によるしんどさが少しずつ増してきました。
しかし、このときもまだ忙しくて疲れてるからだと思い込んで、早めに寝たりしていただけ。
一応かかりつけの病院では相談していましたが、微々たる変化なので薬を増やしたりはせずにひとまず様子見ようということになりました。


しかし、婦人科の薬の副作用が酷く出ていたのも重なって、通常のペースで仕事しているのが辛くなり、休みをもらうことが多くなりました。
このときはどちらかというと婦人科の薬の副作用の方が辛く感じていました。
でも薬をやめることはできないので、ひたすら耐えるしかない状況。


しかし今思い返せば、重症筋無力症の症状もしっかり強く出ていて、かなり深刻になりかけていたと思います。
しかし、それも婦人科の薬で体調が悪いせいだと思い込んで、そちらにはあまり意識を向けませんでした。というより向けないようにしていた。
薬が増えたり入院したりするのが嫌で、なんとかそうならずに済ませたかったのが本音でした。今思えばあかんかったなぁと思います…
でも仕事していたし、やっと普通の生活を送ることができていたので、それが崩れるのが怖かったんです。


しかし精神的にも辛く、でも改善策もなく、悩みに悩んだ結果一度職員としては退職し、アルバイトとして席を残してもらって、体調が落ち着くまで長期の休みを頂くことになりました。
それが8月末です。




そして9月、とある用事で朝から夜まで丸一日走りっぱなしの日がありました。
仕事ではないのですが、この日のために何ヶ月も前から準備をしていて、一応責任者でもあったので、なにがなんでもこの日までは、この日だけは倒れるわけにいかず、気力でなんとか持ちこたえてきて、当日もなんとかやりきりました。


この日までは絶対倒れるわけにいかない、という気持ちだけでやってきたせいか、終わった翌日はやっぱりぐったりで、でも仕事もないし家でゆっくりしようと軽く思っていました。


…が、その後何日経っても、身体が重くてしんどくてたまらず、起き上がれなくて一日中寝ている日が続きました。
2〜3日は仕方ないかと思っていても、さすがに1週間もこのままはマズイ、どんどんしんどさがきつくなってくる、おかしい…と思っていた矢先、息が苦しくなって過呼吸気味になったので、急遽、かかりつけの総合病院の救急外来を受診。


でも、予想していた通り救急外来だと担当の神経内科の先生もおらず、いくら呼吸が苦しくても血中酸素濃度が高ければ過呼吸で済まされてしまって、なにもすることがないと言われ、とくに処置はされず帰宅。
(※血中酸素濃度とは、酸素がちゃんと体に取り込まれているかを計るものです。これが低くなるととても危険)


私は今までも、いくら呼吸が苦しくなっても血中酸素濃度はめったに下がらないため、ただの過呼吸だからで済まされてなにもしてくれないことが何度もあったので、その日もあまり期待はしてませんでした。
呼吸が苦しくなったらすぐ病院来いって言ってるくせに、いざ病院行ったらなにもしてくれないとかどういうことだよって思ってたけど、まあ、しょうがないか、と。



後日改めて神経内科を受診。
そのときはもう話すのも歩くのもしんどくて、フラフラしながらなんとか病院に行けた感じだったんですが、飲んでいるステロイドの薬の量を少し増やそうとなっただけで終了。
経過が心配だったので、1週間後に予約を入れてまた受診。効果は見られずむしろ悪化。

そしたら主治医の先生から
「◯◯(市内の大学病院)行く?」
って言われました。

その大学病院はこの病気に詳しい有名な先生がいて、私も何度かかかったことがあるところです。
こちらの記事→
で書いた胸腺摘出手術もこの病院経由でやりました。
ただ大学病院なだけあっていつもすごく混んでるし、近くの総合病院が家から車で5分という好立地だったので、手術後はずっと近い方に通っていました。

が、先生からそう言われて、「あー、もうこっちではお手上げなんだな」って思いました。



正直なところ、この先生は悪い先生ではないものの、しっかり診てくれないというか、薬の量も患者に決めさせるし、困ったり変わったことがあっても具体的にこうした方がいいという提案はなくて「どうする?」ってこっち(患者)に聞いてくるような感じだったので(素人に聞くなよわかるわけねーだろってずっと思ってた)、治療していく上での不安がずっとありました。
ただ家から近いことと、空いていてすぐ診てくれるっていう楽さだけでした。


なので、大学病院へ行く?って言われてすぐ、紹介状と予約をお願いしました。
もう今の自分がかなり悪くなってることは充分自覚していたし、このままこの病院に通ってもなにもよくならないと思ったので。



そして約1週間後、母に付き添ってもらって大学病院へ行きました。
昔かかったときにお世話になった先生はもういなかったので別の先生でしたが、めちゃくちゃ親身かつ丁寧に診察してくれました。
握力検査なんて久しぶりにやるぅ〜と感激したけど、よくよく考えたら前の病院は血液検査すらこっちから言わないとやらんような病院だったしな…。


いくつか病状を見る検査をした後、先生から「入院して、血漿交換をした方がいい」と言われました。



まじかぁーーーーーーーーーついにか……………………



血漿交換、治療法の1つとしてあることは知っていたけど、まだやったことありませんでした。
先生が丁寧に説明してくれたんですけど、3週間くらい入院して、週に2回で1クール、合計2〜3クールはやった方がいいとのこと。


「…やんなきゃダメですか?」
「やった方がいいと思います。だいぶ辛そうですし、ちゃんと治療した方がいいです」


ズバっと言われました。
実は、2年前から母方の祖父母を実家で引き取って母が自宅介護していて、祖母は今年亡くなったんですが祖父は健在。
なので私が入院してしまったら、母がとんでもなく大変なのがわかっていたので、躊躇しました。
が、先生にも説得され、母からも「大丈夫だから」と言われたので、自分ももう辛くて限界だったので、言う通りにすることにしました。
決めてからも、母にまた負担をかけてしまうっていう申し訳なさと、おじいちゃんどうしようって思いがぐるぐるしてました。



このとき診て頂いた先生は、丁寧にちゃんと診察してはっきりとこういう治療をした方がいいって言ってくれたので、とてもありがたかったです。
こんなにしんどくても、休職してもまだどこか、「普通の生活を続けたい」という気持ちがあった私は、入院してそれがリセットされてしまうことが怖く、迷いがあったので、きっぱり言ってもらえたことで背中を押された形になり、気持ち的にも楽になりました。


本当はすぐにでも入院と言われたんですが、祖父のこともあるしさすがに無理だったので、無理を言って1週間後からの入院にしてもらいました。
それが10月の初めのことです。




そんな感じで入院し、血漿交換による治療を計4回やりました。
この入院中のことはまた別記事で書く予定です。
そして結局2週間ちょいで退院して、現在は自宅療養中。って感じです。


ちなみに祖父は私と同時にリハビリ入院をしてもらい、今は施設に入りました。
私のせいで申し訳なかったけど、それとは関係なくだいぶ弱ってきててもう自宅で見てるのが限界になりつつあったので、結果的には母は少し楽になったかもしれません。祖父にはずっと会ってないので、体調が落ち着いたら会いに行きたい。


カレンダー見て気づいたんですが、退院してからもう3週間経ったのか……!びっくり。
入院中がめちゃくちゃ長く感じて、退院後はあっという間でした。





経過としては、ゆ〜〜〜っくりは良くなってきてる…かなぁ?
今回書いたように、私はゆっくり悪くなるタイプらしいので、良くなるのもゆっくりらしいです。
9月の無茶がどかんと悪くなったきっかけぽく見えるけど、その前から悪くはなってて、ただ気力で誤魔化してただけで、気が緩んで本来の状態になったんだと思います。

良くなるのもゆっくりだとじれったいんですが、こればっかりは焦らず頑張るしかないですね。




こんな感じで今やっております。
ベッドに寝ながらでも書けるブログはかなりいい暇つぶしと頭の運動になってます。
毎日びっしり長文更新しすぎて引かれそうですけど、所詮無職でヒマな病人なんで、生暖かく見守ってやってください。






ありがとうございました。






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